電通社員過労自殺事件にみる働くことの意味

電通社員過労自殺事件にみる働くことの意味

蔓延する労働至上主義

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電通で過酷な労働に追い込まれた女性新入社員(当時24歳)が自殺してしまった過労死事件が話題になっています。

亡くなった女性は月100時間を超える時間外労働を強いられたうえ、上司から日常的にパワハラまがいの暴言を受けていたことをツイッターで発信していました。
電通でこのような事件が起こったのは初めてではなく、25年前の1991年にも入社2年目の男性が過労自殺しているという前科があります。つまり、25年間こうした体質は改善されることなくそのまま放置されていたということです。

ILO(国際労働機関)の報告によると週49時間以上働いている労働者の割合はEU諸国で11%、アメリカで15.4%、日本は23.1%と未だ高く超労働大国などと揶揄されています。

私がこの事件を知って一番問題だと思ったのは、純粋な生産性よりも仕事そのものの量、または時間が尊重される日本独特の風潮です。日本ではよく働く人が偉いとされる空気が蔓延しすぎているように思うのです。そう言った考え方を持つこと自体は自由だしやめろと言っているわけではありません。でもそれを口に出し他人と共有することでそう言った磁場を作ってしまうことは問題です。
日本の会社(組織)では、なぜかそう言った体育会的なノリが選択されやすいような気がします。

新人教育とOJTの崩壊

このことは新人の教育を放棄しているのと同義です。実際この被害者女性のツイッターも、日常的に度を超えたパワハラがあったことや睡眠時間が2時間くらいのことがしばしばあったことを匂わせています。
いくらこの女性がやりがいのある仕事につけたところで、理不尽で不条理な難癖をつけてくる上司に囲まれながら夜遅くまでやる仕事は、苦痛以外の何物でもなかったことは想像に難くありません。

《土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい》
11/5のツイート

《1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのかわからなくなってくるな》
12/18のツイート

「そんなにつらいんなら早くやめて転職すればいいじゃん」。というのは簡単ですがおそらく彼女は慢性的に疲れていただろうし、そんなことが考えられないほど頭の中はストレスとプレッシャーでいっぱいだったと想像できます。

仕事の本質も人間関係_

私は仕事というのは、ある程度強制力が働くべきだと思っています。例えば、絵を描くのが好きで仕事にしたという人がいたとして、誰かに「上手いと思うが万人向けじゃない」と言われたとします。その時にヘソを曲げて万人向けの絵に修正できる努力ができないようじゃダメなわけですよ。その人が芸術や趣味の範囲で絵を描いている、というのであれば話は別ですが仕事とは言えません。
しかし、この誰かが何を作ってきても「全然ダメ。やり直し。」としか言わない人だったとしたらどうでしょう。全然どこがダメなのかもどうすればうまくいくかもアドバイスさえしてくれない。しまいには「何でこんなことができないんだ!?」と罵倒してきたり人格否定とも捉えられるような発言までしてきた、と。
はじめのうちは我慢できていたとしてもそのうちストレスとプレッシャーに押しつぶされパフォーマンスは低下し、しまいには好きだったはずの絵まで嫌いになってしまうでしょう。

もしあなたが今働いている職場で人間関係がうまくいってないとか、パワハラがあってちょっと度が好きているなどの問題を抱えているとしたら、私は迷わずその会社をやめて転職するか、フリーランスになることをお勧めします。だって命より大事な仕事なんてあるわけがないし、自分は変えられても他人は変えられないからです。
仕事のストレスで頭がぐちゃぐちゃになってしまったら、なぜその仕事をしているか、誰のための仕事なのか落ち着いて考えてみるのがいいでしょう。そして今の状況を徹底的に俯瞰して客観的にみてみる。もちろん仕事というものは誰かのためを通して、最終的には自分のためにやるものです。
このことは家族関係でも恋愛関係でも交友関係でも同じことが言えます。
その時に今の仕事が我慢や忍耐や時間を要しても乗り越えるべきと判断したなら続けるべきだし、そうではなかったら別の選択肢も考えるべきかもしれません。

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